ちょっと前の職場での出来事です。
予定があって午後から休暇をとっている人がいました。午前の仕事時間を 半分くらい過ぎたころ『あっ!いつものようにコンビニでお昼ご飯買ってきちゃった』と言いました。
わかる〜わかるよ。それ。
そんなことは時々やってる(笑)
たぶんみんなそうでしょ。ただ、言うか言わないかだけで。(私はちょっとした失敗を人に話すのが好きだけど、そういうの嫌いな人もいますよね)
それで思い出したことが2つあります。
まだ、子供が保育園の頃。。。送り迎えはクルマでしていました。ある日歯医者に行く時(歯医者は自宅と保育園の間)クルマに乗り 運転をいつものように始めました。何も考えずに歯医者を通り越してしばらく走ってから信号待ちの時に《あれ?私はどこに行くんだったっけ?歯医者じゃん》と引き返したことがあります。いつもと同じことってあまり考えなくてもできちゃう。何も考えずに運転を始めたらいつものところには行けちゃう。
いつもはバスで駅に行っているから、クルマで駅まで行ってコインパーキングに停めてあるのに帰りにバスに乗ったこともある(笑)
もう1つよく思うのが、信号が赤に変わった時の動作です。《赤だ。クルマ止めるためにアクセルからブレーキに足を移動してブレーキを踏まなきゃ》とかイチイチ考えてないと思いませんか?
《赤だから止まろう》とは考えても《そのためにはどっちのペダルを踏もうか?》なんて考えてもいない。⦅赤だ》→《自然に右足がブレーキを踏んでる》
でも 教習所にいた頃は考えていたはずなんです。
慣れていないことは、考えてから動いているけれど、慣れていることは考えなくても次の動作ができてしまう。
脳が指令をださなくても、手足が動いちゃうってことですよね。
ずっとやってる仕事はラクなはずだわ。
苦手なことをいつもの慣れてる動作にできたら良いかも
この無意識に動いちゃうのを、上手く使えたら色々と便利そうじゃない?
何も考えてないのに、習慣になってしまえば家事も勉強もスラスラ終わっちゃうかも!
お料理も、掃除も最初の頃は時間がかかっていたのに、今はササっとできてる気もする。
パソコンの入力も初めは、頭の中でローマ字に置き換えてから入力していたのに
今では日本語をローマ字にしている部分は無意識なので、動作の中ではまるでなかったことのようにローマ字入力ができている!
無意識ばんざい!
前よりは大変じゃ無くなっているけれど、面倒だなぁと感じるのは同じか(笑)
生命力の強さを感じます
梅雨の時期…ずいぶん楽しませてくれた街路樹(イチョウ)の下に植えてあるアジサイ。
葉っぱを1枚も残さず きれいさっぱり剪定してありました。(剪定だったらこんなに根こそぎは切らないと思う。前の家の人がジャマだから切ったんでしょう(たぶん))
その、ほぼ切られちゃった残骸のような枝から葉っぱが出てました。良かった。。。
近くにあったアジサイはこんな感じ↓
普通はこのくらい枝残すでしょ(笑)こちらも新芽が出ていました。剪定が悪いと来年咲かなかったりするんじゃない?あんなにキレイに咲いていて楽しみにしていたので《残念すぎる。。。》
花が咲いていたころはこんな感じでした⇩
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