『了解です。』は なんか怖ーい。怒ってるのかな?と思っちゃう。
って若い女の子が言っているのをテレビで観ました。若者はそう思ってるんですって。
「了解です」に 。(句読点のまる)はなくても良いいんじゃないか?というのならわかる。
だけど 怖いとか怒っているのかな?と思うのは 私にはわからない。文章の最後に 。をつけてるだけなんじゃないの?と思うけど。。。
娘にも聞いてみました。
『 。って区切られると会話する気がないのかな?と思うからじゃない?』という話でした。はい。終わりって感じ?
『でも、年配の人たちなら そういうものだと思うだけだけど』とも話していました。
ふーん。なんとなくわかったような気がする。
若い人は[文章でやり取りする]というよりは[会話する]という感覚ってことだ。
メールでもLINEでもそうだけど、私たちの世代って、長い文章を送でしょう?長い文章だから句読点は必要。お手紙のような物だから。句読点なかったら意味がわからないところができちゃうでしょ?
若い人たちって会話みたいに短い文章をやり取りするから、区切りはあまり必要ないってことですよね。
そこまではわかるけど、怒ってると思うのはちょっと違う気がすると思いませんか?
本来の文章の書き方のように句読点をつけたくなっちゃうという 年配の人たちが作る文章を、怒っていると感じているなんて…不思議。
「おじさんは、絵文字が多い」と話している女の子もいましたが、字ばっかりだと堅苦しいかもと思ってがんばっている結果なだけでしょう?(たぶん)
気さくな感じを出したいという おじさんなりの気遣いというか。
年代によって文章に特徴があっても全然不思議じゃないと思うし、それはそういうものだと理解しあえば良いことじゃないのかしら?と思ってしまいました。
ツイストドーナツとふきのとう
仕事から帰ってきたら、テーブルの上にレジ袋がありました。
ちょっと覗くと、ふきのとう・釣り餌のゴミ・ツイストドーナツが入っていました。
なんで?せっかく買ったツイストドーナツが袋に入っているとは言っても、泥だらけ。
「袋が1つしかなかったんだもん」という言い訳は、受け入れません!
私だったら、未開封のツイストドーナツは 袋から出して、その中にふきのとういれるわ。
なんでも、一緒にするから洗い物が大変になるんだぞ!
コメント