学生の時、《夏休みが終わるから寂しい》ってことはあったけれど《2学期が始まるから嬉しい》ってことはなかったなぁ…
今の子供たちも同じなのかはわからないけれど、中学生とか高校生の時はけっこうたくさん宿題が出ていて けっこう重荷でした。
夏休みにドリルをやるのはどうなの?
ドリルというより、問題集と言った方が良さそうなボリュームのものが何冊も配られて「夏休みにまるまる一冊全部やってこい」と簡単に言うけれど、国語も英語も数学もあるんだよ。多すぎる。
高校の時は、英語の短編小説を配られて「一冊全部日本語に訳してくる」というのもあったな。。。
そんな感じなら学校へ行ってた方がマシ。と良く思っていました。
夏休みの為に、わざわざ購入したんだろうと思われる問題集のようなドリルを何冊も配られて、ウンザリ。
そして、嫌だけど 忘れていく勇気もない。
読書感想文は苦手
そして読書感想文…これは大っ嫌いでした。
小さい頃は本を読むのが好きだったのになぁ。
ホントにやらなきゃいけないのは【好きなものや得意なものを伸ばすこと】ではないのか?
そんなことを無理にさせるから嫌いになっちゃうんだよー
読みたい本を読ませておくれ!
国語だけでもウンザリなのに…
「理科よ。お前もか」
本を何冊か指定されて『この中から1冊を買って読書感想文を書け』という《わざと苦手にさせてるとしか思えない宿題》を出されたことがある。
好きな本を読んだ時だって読書感想文はハードルが高かった。のに、化学だか物理だかの本を読んで感想文なんて…最初の10ページくらいでもう苦痛でした。
小学生のときは低学年の頃に買ってもらった【ヘレンケラーの伝記】を毎年 〝今回初めて読んだようにして〟感想文を書いていました。
その頃から読書自体が楽しくないものになっていってしまった気がします。
教育って難しい…
ポスターを描くってのも苦手
読書感想文と同じくらい好きではなかったのが、絵を描くこと。
だって、下手だから。
でも、ポスターを書いてくるっていう宿題もよくあったなぁ。
学校の授業で描くなら、まぁ仕方ない。
なんで、夏休みの大事な時間を嫌いなことに使わなければいけないのか?
そして、頑張って描いてもすごくヘタなポスターができるだけで《コレを持って学校に行くのかぁ…》と思っただけでテンションが下がっていました。
夏休みは好きなことをやるのが正解ではないか?
私は手芸とか何かを作るのは好きだったので(たいした作品ができなくても)やってみたいと思えるものがいつもありました(ここがポスター描きと違うところ)
手芸の本を眺めているのも好き。
見ながら《これなら私でも作れそう。作ってみたいな》とか良く思っていました。
たいして使えないような物ができちゃっても《作ることが好き》って感じ。出来上がったものが使えるとかそういうことではないんです。作ってる過程が楽しい。
子どもの頃に、ちょっとムダだと思うようなことをしてみるのが大事だと思うなぁ。
母が褒めた工作
もう大人になってから、突然 母が私の作った夏休みの工作(小学生の時の)を褒めたことがありました。
ブドウを食べ終わった時に残った枝のような(茎のような)物を見ていて『木に似てる』と思ったのがきっかけで
かまぼこの板の上にボンドで縦に(木に見立てて)貼り付けて、小さいドングリを小人に見立ててその周りに貼り付けたもの。
一応【置き物】
「ちょっと雑に出来てたけど、アイデアが良いなぁって感心したのよね」と母。
その時にも褒めてくれたのかしら?全く覚えてないけれど…
夏休みは、普段できないことで自分やりたいことをやってみるというのが良さそうだと思うのですが どう思いますか?
育てたいものは弱くて そうでない物は強い
こんな細いところを少しずつ伸びて行って、ここから葉っぱをだす?私の身長よりもだいぶ上でした。
大事に育てているものは、なかなか育たないのに...
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